痛ってぇ〜!


・・本日(もう昨日や・・)久しぶりに剣道の練習に行って参りました・・。
カレンダーを眺めながら考えてみたのですが、7月13日以来・・。約1ヶ月振り・・。
ただ今、体が痛ってぇ〜!状態です・・。

自宅に帰ってきて、とにかく風呂。そしてブログのコメントを送信して、とにかく体がしんどいから横になり、そしたらいつしか寝てしまい・・。
ふっと気が付いたら日付が変わっていました (^^;

あぁ〜あ・・またブログをUPするのが遅くなる・・。
寝起きで、頭がボ〜っと・・。他に思いつきそうにないんで、久しぶりに剣道ネタにします。

・・でまぁ、こんだけ練習に行くのが開いたのには訳がありまして、先々週は仕事が終わるのが遅くなり、先週は練習に行っている道場の子どもたちが、大阪府の大会で優勝して祝勝会。練習はお休みだったという次第です。
(・・まぁ、祝勝会には出席して、おこぼれにはありついてきたんですが・・)

それで、練習に行っている道場なんですが、とっても厳しい練習であります。つまりキビシ〜イ師範なんですが、とっても人望がある。人間性も愛すべき師範で、その師範を慕って子どもたちが集まってくる。
片道、1時間、1時間半の時間をかけて練習に通ってくる練習生も多い訳なんです。
・・こんな時期から、これだけ練習してたらこの子達、絶対強くなるやろな・・。
その練習生を見る楽しみがあるもんですから、練習のお手伝いはしたくなる。でもまぁ・・。いかんせん、長年のブランクがあるもんですから、師範の足を引っ張らないように、隅っこで、大人しくしてるだけなんですが・・。
とにかく、この練習生の中から、日本を代表するような剣豪が輩出される事を期待している訳なんです・・。


・・・で、一般の方々に馴染みの剣豪といえば、宮本武蔵じゃないかと・・。

天下の剣豪・二刀流の宮本武蔵。と言われて、小説・テレビに映画と、名前を知らない人はいないんじゃないかと思います。

で、この武蔵という名前、実は最初、「無三四」と書いていたそうです。
ではなぜ「無三四」なのか。実は、武蔵の父は「無二斎」という名前でありました。つまり、天下に自分ほどの武士は2人といない。という意味の名前を付けていた訳なんです。
父親が天下に無二なら、自分は無三四という訳です。
・・親子ともども人を食ったような名前かと・・。

武蔵が生きていた17世紀前半は、関ヶ原の戦い、大阪夏の陣などの天下を二分するような戦乱が巻き起こり、武芸に秀でた者は諸国から引っ張りだこになっていました。
そして武芸者も自分をより高く買ってくれる雇い主を求めて諸国を歩いていたと言います。自己PRが大事な要素だったようで・・。
武蔵も自己PRのために「無三四」という名前を考えたみたいです。

・・で、「無三四」から「武蔵」になった時期は不明なんですが、故郷の美作国吉野郡讃母庄(みさかのくによしのぐんさものしょう=現在の岡山県)を離れ、諸国を巡り歩いているうちに、字音が通じることから、「無三四」から「武蔵」になったと言われています。

・・・なお、吉川英治の小説では、この「武蔵」を「タケゾウ」と読み、これを武蔵の幼名としていますが、これは誤りみたいです。幼名は「七之助」というのが本当みたいですよ。

後の武蔵、七之助は13歳で最初の武芸試合をして相手を倒していると言いますから、やっぱ天下に「無三四」の天才だったようで・・・。

でもまぁ・・武蔵に関しては、没した場所や生い立ちに関しても、諸説入り乱れております。
佐々木小次郎との巌流島の決闘でも、武蔵は弟子を島に忍ばせていた・・。とかも言われています。

私の見解も「これが一番正しいだろう・・。」という話です。お間違いなきよう・・。



・・・私、剣道から帰ってきたら、自宅の電気は消えており、だ〜れもおりませんでした・・。

・・アレッ。今日は空手の練習休みやって言ってたよな・・。
子どもたちの空手の練習が休みですから、自宅に居てると思っていたオヤジです・・。

・・とうとう・・愛想つかされて出ていった?

一瞬、オヤジの胸に一抹の不安が・・。

・・アレッ・・マック・・。
いつもなら、ダッシュでお出迎えしてくれるマックが居りません・・。

・・アッ!・・
思い出しました。お盆に帰省するもんですから、今日、マックを嫁の実家に預けに行くとか・・。そういえば言っていました・・。

・・晩ご飯・・。
そうなんです・・。仕事が終わってダッシュで剣道の練習に行き、練習が終わって真っ直ぐ帰って来て、当然、晩ご飯は食べておりません・・。

・・メシ・・抜き?
体の節々痛いうえに、メシ抜き・・と思うと、がっくり力も抜けたオヤジです・・。

・・とにかく風呂や!
剣道の防具を片づけ、とにかく汗まみれですから風呂に飛び込みました。
シャワーを浴び、浴室を出た所に、子どもたちが帰ってきました。

タオルを腰に巻いて玄関の鍵を開け、お出迎えした訳なんですが、いきなり、
「パパぁ!あ〜ちゃんにゲ〜ム買ってもらった!」

・・天然のボケと、抜け目のなさは嫁ゆずりの息子・・。
年に1回。自分の誕生日にはみんなが、無条件で好きな物を買ってくれるのを知っている・・。

・・嫁のおっかさんがゲ〜ムを買ったという事は、息子が言った中でそれが一番安かったんやな・・。

という事は、もしかして・・オヤジが1番、痛ってぇ〜!思いをする?


体の節々だけじゃなく、胃と財布までもが、痛ってぇ〜!・・オヤジです・・。



本日も最後までおつき合い頂き、ありがとうございます!
また、ご支援頂きました皆様に感謝いたします。今後ともよろしゅ〜に!です。
カテゴリ:剣道のお話 | 03:13 |
骨折させた思い出


よく、患者さんについて子供が訪れます。母親がベットに横たわって居る間、退屈した子供達は走り回ったりする光景はよく見受けます。そんな時、「接骨院で骨折したなんて、笑い話にもなれへんからこけたらアカンで!」などと言って場を和ましております(^^)

水曜日は剣道の練習日であります。
本日の練習の終わりに師範の言葉があります。試合練習を終えた子供達に、一人一人注意点、留意点を仰るのですが、その中で、「剣道はルールに則ったケンカだと思え。相手を突き倒しても勝つ気迫を・・・。」試合で気合いの足りなかった子供に注意しておられました。
その言葉に、私はふと、高校時代の事を思い出してしまいました・・・。

私の卒業した高校の剣道部は、試合に出場する選手を決定するのに、全員総当たりのリーグ戦を行い、上位5人が出場する仕組みでありました。まぁどこからも文句が出ないやり方ではありました。
高校1年の時、新人戦の予選には上位5人に入り出場しました。そして、本戦に出場する5人を決定する、リーグ戦の最中の事です。
前半を終えて、取りあえず上位5人には入っており、取りこぼしさえなければ大丈夫やな・・。と試合に臨みました。

それは同級生のFと試合した時の事です。そのFは背は低いのですが、非常に難剣で苦手にしておりました。勝負は1対1であと1本取れば勝ち・・。当時は場外反則3回で相手に1本というルールでありました。Fは場外に2回出ており、あと1回の場外で私の勝ちです。
狙うはFの場外反則。私はライン際で面を打ってFに体当たり。Fは場外にもんどり打って飛び出しましたが・・・。Fは壁際で呻いて立ち上がってきません。取りあえず勝ちの宣告は受けて剣は納めたのですが・・。
Fは腕の骨を折っておりました。Fは直ちに病院に直行。その日のうちにギプスを巻いて帰ってきました。
部長先生からは、「気にするな!」と言われ、先輩からも「まぁ仕方がない。事故や。」と言われたのですが、それから以降のリーグ戦は見事なくらい負け続け、補欠の6人にも入れない有様でした。

私とFとTの3人が2年生からレギュラーになり、一緒に全国大会にも出場しました。Fには、「お前には腕の骨折られた!」と卒業するまで言われ続けたんですが(^^;)
未だにあの時の事は、悔いとして残っています。骨折させてしまった事は本当に申し訳ないと思っています。しかし、悔しいのがその後のリーグ戦で勝てなかった事です。怪我をさせたFのためにも、後のリーグ戦を勝ち抜く根性がなかった自分が情けなく思いました。
勝負に徹する。・・なかなか難しいもんだと痛感させられた思い出です。

何の因果か・・。今では骨折した患者さんを治療する仕事をしています。
現在までの所、剣道で転倒して骨折した。という患者さんは来院していません。
まぁ・・これがせめてもの救いかな。と思うオヤジであります。

カテゴリ:剣道のお話 | 22:31 |
相手からは遠く、自分からは近く・・


今年の2月から某所で剣道の練習を再開しました。
なにせ18年ぶりに竹刀を握ったため、まるっきり体は動かず、息は上がり初日はマジで倒れそうになりました。あれからもうすぐ4ヶ月。そこそこに体は動くようになり、次の日に体が痛いなどという事もなくなりました。
しかしブランクは隠しようがなく、師範からはよく注意をされます。
足捌きが不十分なのに攻めようとするため足幅が広くなる所を注意され、その広い足幅で右手に力が入り、右半身になる所を注意され、剣先が下がる所を注意され・・。練習が終わると結構へこんで帰路につきます。
竹刀を置いた頃・・元気がよく、体も良く動いていた20代をイメージしちゃいかん!と思うのですが、ついついムキになって攻めようとします。
年齢に応じて、落ち着いた剣道を心がけようと思っているのですが・・・。

「相手からは遠く、自分からは近く・・」禅問答でもなぞなぞでもなく、私が小学生の時に教えられた間合いの取り方であります。いまだに遠間から攻めるのは、その教えが身に付いているからかも知れません。つい反射的に体が動いたりして・・。そろそろ脱却する頃なのかも・・です。

道場には小学生から中学生、時には高校生も練習に訪れます。やはり師範の人となりに惹かれて集まってくる練習生ですので、道場には張りつめた緊張感と気迫を感じます。「やっぱりこの雰囲気はいいなぁ・・」鼻腔をくすぐられるような喜びを感じてしまうのはやっぱ剣道が好きなんでしょうね。
カテゴリ:剣道のお話 | 23:34 |
勝てなかったライバル


久しぶりに田舎に電話をしました。(用件は兄貴の絵の使用許可のお願いだったのですが・・)
田舎に電話すると、旧友の名前やら近況やらを教えてくれます。幾つになっても懐かしい気分になるもんです。
次男の兄貴は学校の教諭をしているものですから、剣道関係の近況も教えてくれます。小学、中学、高校としのぎを削った仲間の事、頑張っていると聞くと嬉しくなります。

ふと小学校時代に、一度も勝てなかったライバルの事を思い出しました。
・・・そうですね。仮の名前で沖田総司君としときます。
彼は小学生の割に長身であり痩身でもありました。彼が属していたチームは隣町なんですが、まったく目の上のタンコブ的存在で、私が勝ち進んでいくと必ず待ち受けていて、一度も勝つ事が出来ません。
団体戦も彼は大将をしていて、大将戦になったら必ず負け・・。
本当に悔しくて、負けず嫌いの私は必死に練習したものです。
それでも小学校時代は、沖田総司君には一度も勝てずに終わりました。

私は中学に進みましたが、彼と対戦する機会は、それ以降訪れませんでした。

沖田総司君は胸を患っていました。
胸骨や肋骨が内側に曲がり心臓や肺を圧迫する病気でありました。沖田総司君は中学に進むと手術を繰り返し、結局、剣道を断念したのです。
健康体であり負けず嫌いだった私は、幸運にも県の中学総合体育大会で個人優勝をする事が出来ましたが、沖田総司君が剣道を続けていたら優勝出来たかどうか・・・。

小学校時代から胸は圧迫されていたそうですから、呼吸は苦しかったはずです。青白い顔で飄々と笑い、それでいて剣は鋭く・・。おそらく彼の命を削るような、剣道に対する気迫に勝てなかったのだと思います。

沖田総司君の事は今でも時々思い出します。一度も勝てなかった、私の中では世界最強の剣士です。
カテゴリ:剣道のお話 | 23:30 |
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